去年の秋、高校の同級生がひと足もふた足も早くあちらの世界に逝ってしまった。
ちょうど1年前に会った時は、普通に元気だったのに。
人ってこんなにもあっけなく逝ってしまうんんだ。
1年前
高校の同級生のA子が亡くなった連絡を受けるちょうど1年前、A子と2人で平日ランチに行った。
そのときは8年ぶりの再会で、よくある
「今度ランチにでも行こうねー」がようやく叶ったときだった。
LINEは度々していたけれど、何故か8年くらい全然会わなくて、でも
「今度ランチにでも」という言葉は度々出て来ていた。
お決まりの社交辞令と言えばそうなんだけど、なんとなく2人の子供がいる彼女と独身の私は、タイミングがなかなか合わなくて。
ていうのも言い訳だな。
他の子供がいる友達とは会えてるし、でも会いたくないとかめんどくさいとかではなく、ただただなんとなく「今度ランチでも」はなかなか実現しなかった。(割とあるあるだよね?)
なのにある日、LINEのやり取りが盛り上がって「いや、もう会ってはなそうよ笑」
となって、いきなりリアル対面が実現した、というような感じだった気がする。
今思えば、この時会ってなければきっとそのまま会えずに永遠の別れをするところだったんだよなー。
ここでちゃんと会っておけ、という神の思し召だったのか。
久しぶりに会ったけど、ほとんど8年前と変わらず、彼女は元気だった。
3時間くらいとにかくずっとしゃべりまくった。
お互いの仕事の近況のこと、更年期に入りかかった体調のこと、美容のこと、お互いの親のこと、彼女の子供のこと、高校生の頃のこと、これから何をしていきたいか、何をやりたいか、などなどなどなど。
数時間じゃぁ本当に足りなかったなぁ。
若い頃の彼女のイメージは結構フットワークが軽い感じだったんだけど、1年前に会った印象は、なんとなく悶々とくすぶっている感じがした。
仕事は旦那さんの家の会社で、家も旦那さん一族が住んでいる敷地内だった。
「出たい。脱出したい笑」
と冗談っぽく言っていたけど、あの時の彼女にはおそらくちょっと窮屈な暮らしだったんじゃないかなぁと思う。(勝手な想像)
思いつくままに、あんな事してみたら?こんな事してみたら?私は今こんな事にチャレンジしているよ。
と適当にした助言を、A子は目をキラキラしながら聞いていた。
「今日はありがとう!なんか色々新鮮な話を聞けて、これから少しずつチャレンジしてみようって元気が出て来たよ!」
そんな嬉しい言葉をくれてバイバイをしたちょうど1年後、こんな訃報を聞くことになるなんて。
寒い夜
A子は大腸癌だった。
健診などで見つかったのではなく、お腹が痛くなって病院に行った時には結構進行していて、それから半年で亡くなってしまったとのこと。
その間LINEで何度かやりとりはしていたけれど、そんなそぶりはいっさい見せなかった。
早い。
早すぎる。
半年なんて。
人間ドックや健康診断受けてる?
お通夜へ向かうために集まった高校の同級生3人で、斎場近くのカフェで話す。
喪服を着ているけどまだ実感がない。
今からA子も合流して普通に飲みに行く感じがする。
斎場にはママ友たちがたくさん来ていた。
そうだよね。娘が2人もいるもんね。
受付に置いてあるA子の遺影を見た途端
「ああ、本当にA子のお通夜なのか」
と一気に現実が突きつけられて、ちょっとした眩暈がした。
パニックというものなのか、頭の中が真っ白になって訳がわからなくなって、受付の人に
「ここでお香典渡すんですよね?」
とかアホなことを聞いてしまった・・・。
「ええ、もしよろしければ」と受付の人(笑)
いやすんません・・・。
祭壇を見ると、大きな彼女の遺影。
「見て、高校の時の写真!」
指を差した方向を見ると、モニターには生前の彼女の写真が時代を問わず、スライドショーとなって映し出されていた。
結婚式の受付で流れる夫婦2人のスライドショーみたいなやつの、個人版。
私たちは一緒に写ってはいなかったけど、高校生の頃の彼女と同級生が写っている写真が流れていた。
ああ、懐かしいな。
あの頃の彼女の顔だ。
会場にはBGMでドリカムのオルゴールが流れていて(今はお経ではないんですね)、ああ良く高校生の頃カラオケで歌ってたよなーとか思い出がぶわっと吹き出して来て涙がどんどん溢れだして、お焼香する時なんかはもう泣きすぎてぶっ倒れそうであった・・・。
「ああ、A子、なんで何にも言わずしれっと逝っちゃうかなー。笑ってんでしょ、きっとこんな泣きじゃくってる私見て笑ってんでしょ」
と写真を見ながら手を合わせながら心の中で勝手なことをぶつぶつ独り言。
その後な彼女の最後の顔を見に棺桶に。
痩せ細ってはいたけど、綺麗なお顔だったな。
洋服が1枚かけてあったけど、その洋服を着た彼女を見たことがないのに、きっとお気に入りでよく着ていたんだろうなー。なんとなく想像がつくよ、この服着た彼女が。
最後に挨拶した親族の中に、中学生と小学生の娘さん2人がいた。
きっと私なんかが想像もできないくらいの寂しさ、悲しさ、絶望感だよね。
なんとなく覚えている自分の子供の頃の1番の恐怖は、両親に先立たれて取り残されることだった気がする。
今だって両親に死なれたらやっぱり辛い。
まだ小さいこの子たちは、それに立ち向かっていくんだ・・・。
斎場を出て、3人で駅に向かう。
まだ10月中旬だというのにすごく寒い夜だった。
コート着て来ればよかったなぁ。
そんな事を思いながら、泣き疲れてしまったおばさん3人衆は凍えながら帰路へ。
誕生日
先日、そんな彼女のお誕生日でした。
このことをブログに残すつもりは当初なかったのですが(というか、うまく言葉にできないと思っていた)、半年以上経って心の整理というか、節目というか。
あの頃の事を記録しておくのもいいかな、と思い、別にうまく言葉にできずとも、ありのままを書いてみようと思った。
それと、自分のために残しておきたかった。
今まで身近な人の死といえば、祖父母をはじめ自分よりかなり年上だったのが、自分と同じ歳の友達を亡くしたのは初めてで、なんとも言えない衝撃だったし。
48歳。
人生100年時代と言われていて、そのくらいまで生きるのが当たり前だと思っていたけど、そうではないんですよね。
私だって、半年後もうこの世の中にはもういないかもしれない。
「生きている今を大切に」
ということはもちろん感じたんだけど、なんというか単純に
「そうか、私もいつかは死ぬんだ」
という、生物としての当たり前の事を日々の忙しさの中で忘れていたような気がする。
なんか、自分って死なないと思っていたというか(笑)
子供の頃から疑問に感じていた
命が終わる直前てどんな感じなんだろう。
そして命が終わったらどうなるんだろう。
本当に死後の世界はあるの?
あの世はあるの?
映画やドラマや小説なんかで見聞きするような、スピリチュアルな世界は存在するの?
もしくはなーんにもないのか?
彼女はひとあし先にそれを経験しているんだなぁ。
そちらはどんな世界ですか?
私が行くのはまだまだ先か、もしくは意外とすぐかわからないけど
再会したらまた一緒にビールでも飲みながら、昔話でもしようね。